姚貝娜 - 魚

2015年に33歳という若さで亡くなった女性歌手、姚貝娜(Yao Beina)。
彼女がたった一度だけ人前で歌った曲がある。


曲名は《魚》という。


黄霄云がカバーしていたために知ることができた。
残念なことに無料での公式配信はされていないため掲載はできない。


姚貝娜がすでに亡くなっていることもあり、許可のある動画は少ない。
どういう声の持ち主なのか確認するためにその中から日本に縁のある曲を貼る。


www.youtube.com※ 中天電視の公式チャンネルより


曲は玉置浩二の《Friend》を順子(Shunza)がカバーした《Dear Friend》。
玉置浩二がこんなに良い歌を持っていたことを知らなかったので、まずそこに驚いた。
《Dear Friend》は中国で人気があるらしく、色々な歌手がカバーしている。


上手いことには違いないが、やはり《魚》の印象の方が強く残る。
歌声で感情を表現することに長ける黄霄云が、オーディションで歌う曲に《魚》を選んだのも頷けるほどインパクトがある。


《魚》はTVの企画の中で生まれた。


すでに終了した「Hi歌」という作曲家のオーディション番組が舞台になっている。
姚貝娜に歌ってもらうために、出場者はそれぞれに作曲して競い合う。
《魚》は孙嫣然、孙卓然の姉妹が作曲と作詞を手掛け、それを姚貝娜の前で歌いプレゼンを行った。


そして、最終的に誰が選ばれたのかは出場者に知らされず、本番の舞台で歌われて初めてわかる仕組みだった。


そのため《魚》を歌いだした瞬間に作曲した孙嫣然はボロボロ泣いてしまう。
そのぐらい嬉しかったのだろう。
オーディション番組ならではのシーンだった。


たが、ここで姚貝娜が歌った《魚》はさらに特別な意味を持つことになった。
これが彼女にとって最後の歌になってしまったからだ。


姚貝娜は2011年に乳がんの手術をうけていた。
その後、歌手として表舞台に復帰し、ドラマの主題歌製作や「中国好声音」への出演など精力的に歌手活動を再開することになる。


2013年には自らの闘病をテーマに《心火》という曲もリリースしている。
ただ、本人は病気への同情ではなく歌声に注目して欲しかったようだ。*1
歌手としての誇りがとても強かったのだろう。
その点、彼女の実力は認められていて、2014年にかけて人気は高まっていったようだ。


しかし、その2014年の6月に再びがんがみつかる。
最初は骨と肝臓、次に歌手の生命線である肺、そして脳へ。
加速度的に病状は悪化していったようだが、彼女は歌うことをやめなかった。


同年、10月。
「Hi歌」のリハーサル中に喀血するほど悪化していた。


番組の映像には繰り返し咳き込む姿や薬湯のようなものを飲む姿が残されている。
血の気はなく、すっかり痩せてしまった姿が彼女の状況を物語っている。
それでも姚貝娜は最後まで己を貫き通す。


出演者など、周囲の人が彼女の病状をどの程度知っていたのかはわからない。


そのような状況の中、姚貝娜に歌ってもらうために作曲されたのが《魚》だった。
記録によれば彼女が人前で歌えたのは番組内での一度だけのようだ。*2
そして姚貝娜が公の場で歌ったのも《魚》が最後になった。*3


彼女は歌手としてのプライドを命懸けで貫いたのだろう。


それだけに《魚》を歌う姿には鬼気迫るものがあった。
その姿は儚く、一見弱々しくもみえる。
だが、彼女の歌にかける執念は声だけでなく表情や仕草にまで溢れていた。


この時の彼女は一度も声を乱すことなく見事に歌いきっている。
呼吸するだけで咳き込むような状態にもかかわらずだ。
命の瀬戸際で歌いながらも笑顔を絶やさない姿に、ふと美空ひばりを思い出す。
自分の命を削ってでも歌いたいという姿勢が似ているような気がした。


番組の出演後、もはや音源として収録する余裕も無かったのだろう。
現在配信されている姚貝娜の曲に《魚》は含まれていない。


12月末。
番組の式典に出席して《魚》を歌う予定が入っていた。
病状が深刻だった彼女は欠席し、代理で《魚》を作曲した孙嫣然が歌うことになった。
その際、孙嫣然は姚貝娜から託された手紙を代読している。


彼女が読み上げる間、実際の手紙が画面に表示される。
残念ながら内容についてはわからないが、最後に「加油」と書かれている。
中国語で「頑張って」と応援する言葉らしい。


自らは闘病中でありながら応援する気持ちを自筆で伝えたかったのだろう。
そんなところにも姚貝娜の人柄が表れているようだ。


式典のゲストには孙卓然の姿もあった。
手紙を読み上げる孙嫣然は何度か言葉に詰まり、会場でそれを聞いている孙卓然も涙を堪え、他のゲストたちの表情も一様に硬い。
この頃にはすでに、それぞれ姚貝娜の病状が深刻だと知っていたのだろう。


明けて、2015年1月16日。
《魚》が放送されてから約2か月後、姚貝娜はこの世を去った。
享年33。


その早すぎる死は多くの人に悲しみをもたらした。
当時のニュース映像が残っている。


www.youtube.com※ 公式配信


また、自身の病について語っているインタビューも残されている。


www.youtube.com※ 公式配信


もう少し書く。


《魚》の歌詞は全て漢字で書かれている。
その一節が胸に突き刺さる。


「渇望」


この文字が歌詞本来の意味とは違うことを想像させる。
もっと歌いたいと、そう込められているのでは、と勝手に解釈したくなる自分がいる。
曲解と知りながらも、その印象は抜けてくれない。


歌詞については、一部翻訳された部分から言葉の表現が綺麗なことに気付いた。
もしいつか、機会が得られるのなら、全文翻訳された歌詞を読んでみたい。


最後に。


歌うことを全うした姚貝娜を、悼む。
そして、その身を焼き尽くすほど歌にささげた情熱を惜しむ。